あの苗場の受験宣言が・・・

そして「ひろしぃ、」は・・・

   (ビブbR79→サンガツニナク)

◆理論勉強&トレーニング編

 2003年8月31日(日)
羽村市役所コミュニティセンター2階ロビーから、長く苦しい準指導員への道を辿る旅が始まった。
 
9月6日(土)
受験者代表として、東京都スキー連盟事務局に申し込みに向かった。4人分20万8千円を抱え、もらった地図を片手にJR四ッ谷駅で下車。最初の試練が待ちうけていた。 都連事務所はほんと分かりにくし・・・ 変な思い込みから、目的地とは反対側に歩く私。行けども行けども地図にある目標はどこにも無い。散々歩き回った挙げ句に異変に気がつく私。交番を発見して、お巡りさんに聞く。地図を差し出しながら「ここに行きたいのですが。」と聞く私。呆れ顔のお巡りさんが、親切丁寧に駅の反対側であることを説明してくれた。(ガックリと肩を落とす私)気を取り直し歩く歩く。やっとそれらしいところに着いた時には既に1時間経過していた。受験の神様はさらなる試練を用意してくれていた。同じところを何度も歩き回る私。何度人に聞いてもわからず、ブチ切れ寸前でやっと看板を発見。暑さでヘトヘトになりながら申し込みを完了。グッタリして引き上げた。
 
9月23日(火)
養成講習会(理論T) 
とうとう始まった。まだ、新教程が完成しておらず配布された資料の説明を受けた。途中、幾度となく襲いかかるスイマー(睡魔)と闘いながら何とか終了。1つ目のハンコをもらった。
 
9月25日(木)
夜、TVなど見ながらくつろいでいた時であった。立ち上がろうとした私の右足首を激痛が襲う。もう20年も前に骨折したところが、今になって痛み出すとは!病院に行くも湿布を貼るぐらいしか無いらしく愕然とする私が一人。びっこを引きながら歩くしかなく、トレーニングもままならず・・・トホホ。
 
10月2日(木)
羽村市スキー連盟教育部主催の勉強会(全7回)が始まった。毎週木曜日の夜、中野会長宅に集合して理論の勉強を進めたのだ。
 
教程 10月19日(日)
養成講習会(理論U)
この日、やっと新教程「技術と指導」  が発売になった。「2004年度オフィシャルブック」と「受験者のために」も合わせて購入。必要な教程が揃い、DVDも付いていてさっそく繰り返し見たのでした。気分も新たに「やるぞ!」と誓ったのでした。ハンコ2つ目GET!
 
11月13日(木)
勉強会の最終回があった。ひと通り、出題されそうな分野についての勉強会が終了した。よそのクラブではこんなことはしていないらしい。磐石の支援態勢に感謝!
 
11月14日(金)
全然関係ないが、36回目の誕生日。さみしくひとり祝う。寂しいので、気晴らしに「スノーバ溝口」というちっちゃな人工スキー場に行って滑る私。チューンしたブーツの試し履き。良い感触にゴキゲン!
 
11月15日(土)
魚民・羽村駅前店」にて、準指導員受験の決起集会を開催した。4人のために多くの方々が集まってくれて激励の嵐を浴びせてもらった。本当に感謝感謝。またしてもがんばるぞと誓った。
 
12月14日(日)
スキークラブ足慣らし(アサマ2000)
足慣らしが目的なので、ズルズルと滑り滑走感覚の錆を取った。
 
12月20〜21日
スキークラブ・初滑りツアー(北志賀竜王)
いよいよ準指受験班の特別メニューが組まれトレーニングに励んだ。が、なかなか思うようには行かず悩む。前途多難だ。
 
12月29〜31日
スキー連盟年末合宿(片品高原)
今回も準指受験班の特別メニューをこなす。今回からスキーも新品を投入した。特別メニューと新品 スキーへの適応できなさ具合の絶妙なコラボレーションが私をさらに混迷の渦に引き込んでいった。
 
1月3〜5日
一人、ホームゲレンデである八方尾根に向かう。同行するはずだった友人杉氏が年末合宿で負傷した為であった。新しいスキーに慣れようとガツガツ滑る私。ここまでに指摘されたことを復習する私。できているのかどうかはまったく不明なまま帰路に。
 
1月10〜12日
養成講習・実技T(菅平高原)
いよいよ養成講習実技1回目だ。年齢順に班分けされ、私は17班になった。みんな年齢が一緒だ。初めての私は流れに身を任せつつレッスンを受けた。初めての人や4回目の人など様々だった。2日目の夜には「白樺」で飲み会が開かれた。店には4つぐらいの班が集まっていて、それぞれに盛り上がっていたが、「長渕剛」こと中村講師(13班担当)がミニライブをやってくれて大いに盛り上がったのでした。この夜、「西新宿の親父の唄」が17班のテーマソングに決定したのでした。3つ目のハンコ ゲッツ!
 
1月17〜18日
スキークラブミニツアー(ブランシュたかやま)
今回も準指受験班の特別メニューをこなす。さらに頭の中の混迷は深まっていて迷宮に迷い込んでしまったのが明らかになったのでした。ここでは、中野毅先生旭信之先生がレッスンしてくださいました。そしてアニーキりなちゃんが強力サポートしてくれたのでした。小回りの出来なさ具合が苛立ちを隠せないぐらいに成長してしまったのもこのあたりでした。
 
1月24〜25日
羽村市市民総体ツアー(菅平高原)
今回はポールがメインの練習になった。が、ずっとポール練習ができるわけではないので、それまではひとりプルークボーゲンやらプルークターンの練習に励む私。重苦しい時間だけが過ぎていったのでした。翌日は市民総体で、GSレースに挑む。気合だけが空回りして敗北。その後は、我がクラブの全日本選手のさとるっちにプチレッスンしてもらった。そこでの、小回りが「OK!」と言われたのが収穫でした。なかなかうまくいかずに悩んでいたところに光明を見出したのでした。
 
2月1日(日)
受験班トレーニング(菅平高原)
上野&河野両指導員にレッスンしていただいた。プルークボーゲンではうまく乗れずに暴走するなどまだまだ課題山積であることが明白に・・・。また、この頃が受験生全員の難所であったように思います。(技術的にも精神的にも)
 
2月7〜8日
レベルアップ講習(菅平高原)
受験生4人揃って受講。ターン運動3態についてそれぞれ練習した。そして、指導種目についての変更が通達されたのもこのときだった。
 
2月14〜15日
スキークラブ・ツアーパート1(野沢温泉)
今回は、偶然の産物のツアー担当。練習はしたいものの、担当としての任務が多くあり少しばかりの練習で終了。祟りとなって現れることとなった“ジャンプスキー”ただ、苦手種目のシュテムターンを大村先生茂木先生に見てもらい、ぬまおがビデオを撮ってくれました。いくつかの修正点がわかり、多いに助けられたのでした。
 (リフトはとっくに終了してました。)
宿の階段にジャンプスキーを発見したのは、懇親会の後でした。(アルバム参照)
 本物の板を手にして悪戯する私。これが検定会に祟りとなって現れようとは夢にも思わなかったのでした。翌日もトラブル続きで、滅入る私。そんな精神状態で上手く滑れるはずもなく終了。
 
2月21〜22日
養成講習会・実技U(菅平高原)
レベルアップ講習での変更点が受験生全員に通達されました。レベルアップに参加したのは17班では私ひとりだったので、他の人たちは困惑していましたが私はさらに煮詰めていけました。そして、今回で養成講習のハンコが全部揃い、検定会への出場資格が得られたのでした。今回も「長渕剛」のミニライブがあり気分も盛り上がって終了。
 
2月28〜29日
プライベートな練習(菅平高原)
前週の養成講習以後は受験生それぞれで仕上げていこうということで、今回は信さんりなちゃんプロデュースのツアーに参加。ペンション「TAKEO」に泊った。なかなかいい雰囲気でリラックスできた。今回のメンバーは旭信之先生りなちゃんくみちゃん鳥くん浜ちゃん、そして私の6人。6人で楽しく滑りつつ、トレーニングできた。日曜日には急遽浜ちゃんが2級を受検することになったりした。日曜の午後は浜ちゃんをみんなでサポート。浜ちゃんの元気な演技にみんなで合格を確信したのでした。そして、発表がありHPトップにある動画のようなカッコイイフィナーレとなったのでした。いい流れで検定会に望めそうだ!
 
3月6〜7日
雪上トレーニングは先週で終わり、今週は休養と理論の勉強に当てたのでした。他のメンバーはそれぞれ滑っていたが、滑りたい衝動を押え込んで体を休めることに務めたのでした。溜まっていた疲労はかなりのものだったようで、毎日10時間ぐらい寝ていました。(他に昼寝付)そしていよいよ本番に突入するのでした。

検定編につづく